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難解な平和
久しぶりに映画に行きました。
「人類資金」です。
予告を見た時点では、世界経済を揺るがす壮大な革命と詐欺映画かなと思いました。

ところが、どちらかと言うと、
いろいろと残念な映画ではありましたが、、、、
「M資金」好きな私はそれなりに楽しめました。

紙幣を使った資本経済とは?
人間としての生きかたは?
ということで、人間の良心に訴えかける映画でした。

帰る途中で、ようやく、ふとあやしいアメリカ人がビンセント・ギャロだった事に気がつきました(笑

さてさて、話は少々それますが、常々、この混乱の時代において、
願うことは世界平和と思っておりました。
お坊さんにも「そりゃ、難儀じゃな」と言われてしまいましたが、、、、。

今日、あるブログを読んで、打ちのめされてしまいました。

「平和と平等が世界の常識だと盲信しているのは日本人だけだ 」
という内容でした。

要約すると、

    「平和であることは良いことだと日本人は思う。
    そして、平和を願うことは当たり前だと日本人は信じて疑わない。
  
    平和と平等は美しい概念であり、世界中の人たちがこの概念を一緒に追求していると
    日本人は信じているかも知れない。また経済優先も日本人にとって当たり前だ。

    しかし、現実はそうではない。平和と平等、あるいは経済優先は、
    あくまでも日本独自のものであって、日本でしか通用しない。
    日本で受け入れられたとしても、世界では決して受け入れられないものだ。」

    なぜかというと、それは、世界は「そんなもの」よりも、
    もっと大切なものがあると考える国も多いからだ。
    平和や平等や経済よりも、大切なものなどあるのか。実は、ある。

    イスラムならば、それは「神であり、宗教である」と答えるだろう。
    そして、コーランは人間が平等など一言も書いていない。
    イスラム教徒の人口は全世界で約15億人。

    人口10億人を抱えるインドではヒンドゥー教が主流。
    これらの宗教もまた「平和よりも大切なものは、神であり、宗教である」と考えている。
    人間が平等だとも考えていない。要するに、ここでも日本人の価値観とは違う価値観がある。

    キリスト教はどうか。キリスト教は平和主義だろうか。

    キリスト教が平和主義だったら、中南米は侵略されなかったし、  
    アジア・アフリカは植民地にされなかったし、
    日本は核爆弾を2発も落とされたりしなかったはずだ。

    キリスト教徒の人口は世界で約20億人。

    中国ならば、平和より「共産党」であろう。
    人口は約13億人。
  
    世界は、平和も、経済も、平等も優先しない。価値感がまったく違うということです。
    また、理解できても容認できないと思う人口でもある。

    残りの人々も平和や経済や平等が正しいと思っているかどうか分からない。
    自分たち一族が栄える事が正義と思っているかもしれません。

    なので、日本の価値観は、世界ではまったく「少数派」であるという話です。

    日本が異質だと言われるのは、そこから来ているのである。
    日本人が思っている世界と、現実が乖離している。

    日本人は驚くかもしれないが、「平和や経済や平等」を世界に押しつけるのは、
    世界にとっては「冒涜」だと思われる可能性が高い。

    世界には、平和よりも重要なものがある。それは宗教だ。
    「平和、経済、平等」は、信仰やイデオロギーが優先される社会にとって害悪であり、
    社会を崩壊させるものである。

    もちろん、世界の多くは、ほとんどが平和と経済的な豊かさを望んでいるのは間違いない。
    しかし、その前に、宗教と戒律とイデオロギーが優先される。

    これらが維持された中で、次に平和が来るのであって、平和が優先ではない。


以上、
かなり端折ってしまいましたが、、、

気づいてはいましたが、
こうもはっきりと断言されてしまうと、私はグウの音もでません。
まさに、おしゃっる通りです。


ちなみに、日本以外の国々で言われている「平等」というのは、
日本人が言う平等とは程遠いそうです。
同じ言葉なのだが、概念が違っているそうです。


    世界の人々が言う「平等」とは、「機会が平等であること」を意味している。

    全員が同じ収入や、全員が同じ生活水準であることを世界の人々はまったく望んでいない。

    「スタートは平等であるべきだが、結果は平等であるべきではない」というのが
    欧米先進国の考える平等なのである。
    だから、欧米では「一億総中流」のような考え方はない。

    ひとりひとり個人の能力も嗜好も目指す目的も生き方も時代も何もかもが違う。

    だから、結果は違って当然で、結果を同じにする平等とはむしろ個人の自由を
    奪うものであると考える。
    「機会の平等」であって「結果の平等」はまったく違うものであることを日本人は
    思い至っていない。

はいはい、これまた、私の考えが甘かったと思わずにいられませんでした。


   現代の日本的倫理観は、あくまでも現代日本の「正義」なのである。
   世界に通用しないどころか、世界の多くの民族を激怒させるものだ。

   そして、これが異質だと気がついていない日本人は、
   非常に危険な民族であると思われても仕方がない。

う~ん、まさか、そういう展開になってしまうとは。
ちょっと座禅でもしたい気分です。(ちゃんとしたことありませんが)

難しい話になってしまいましたので、久しぶりになんちゃってコレクション。
難解な平和_f0088022_031077.jpg

「カニ」の図柄が気に入ってます。
イギリスの属領?ガーンジーのコインです、なんだかよくわかりませんが。
価値はほとんどないです。でも私にとってはお宝です。

・・・お金や宗教が絡むと正義や平和がねじ曲がってしまうのはどうしましょうか?
先日の「神の数式」は難解すぎましたが、今夜も難解です。
ゆっくりかんがえます。
by kouboufu | 2013-10-23 21:43 | ひとり言
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