最近、私の思考その他モロモロのモノが不安定な曲線を描いて混乱を極めております。
あらゆる好奇心のベクトルが伸びきってしまい、収拾がつかない状態です。 そんな中、ちょっと更新が遅れていますが、今日は伊豆の話から始まります。 春先に小学校からの親友と思い出をたくさんつくった伊豆に出掛け、忘れかけていた思い出も だいぶ思い出すことができました。 一泊二日の温泉旅行は気兼ねなく愉しめました。 中伊豆、西伊豆を二人で巡ったばかりでしたが、数週間後、深夜、下田近くの河内温泉を 目指す私がいました。 仕事を終えてから出発。 伊豆の温泉宿までほとんどノンストップのドライブ。 BGMにかけたコルトレーンのCDが心に沁みこみます。 平日の深夜に到着したものだから、宿はほとんど貸切状態。 宿の古さが堪らないのだけど、ここ金谷旅館の総檜の大浴場の‘千人風呂‘は圧巻。 立ち込める湯煙の中に裸電球がふたつ。 何処まで湯船が続いているのか? 誰か、先客がいるのか? ちょっと怖いぐらいの薄暗さと広さ。 恐々とプールのように広い千人風呂を一周して誰もいないことを確認。 気持ちが落ち着けば、こんなにスゴイ空間を独り占めできることに感謝。 底知れぬ奥行きの大浴場を照らすのは頼りない裸電球。 源泉かけ流しの湯が湧き出る音が反響し、水面を波打たせ、場所を変えながら 温泉に浸かるのは私ひとり。 思い出すのは「じんなら魚」 以前書き込んだかも知れませんが大好きな室生犀星の詩にでてくる不思議な魚。 流行の露天風呂も良いけれど、私が探していた「じんなら魚」がいる温泉はこんな場所に違いない。 そう、こんな温泉に来たかったのだ。 ところで、みなさん、「じんなら魚」をご存知でせうか? 私の好きな明治の詩人「室生犀星」 この方の詩は、 「何といふ優しさだ、気高さだ。さうして何といふ悲しさ、愛らしさ、いぢらしさだ。」という感じ。 旧かなづかいもたまらないのですが、美しくせつない内容がこれまた堪らず好きなのでした。 伊豆の伊東温泉に棲んでいたという「じんなら魚」 学のない私は想像上の生き物だと思っていたら、昔、本当に伊豆の伊東温泉に棲んでいた魚だそうです。 「むかし大正の末年ごろ、静岡県伊東市にある浄円寺の、温泉の湧く小さな池に海の魚が棲み、非常に珍しいというので、天然記念物に指定されていた。 この不思議な場所は「浄の池」と呼ばれ、そこにいる海の魚は「おおうなぎ」「おきふえだい」「ゆごい」「やがたいさぎ」「しまいさぎ」「はいれん」「まくち」の七種類だった。 海水魚がどうして淡水で暮らせるのか。しかもここは温泉である。水産学者、地質学者から考古学者まで、様々な人の関心を集め、その中の一人作家の室生犀星は「じんなら魚」という詩を書いた。 その後、狩野川台風で池が氾濫して魚がいなくなり、、、天然記念物の指定も外された 、、、という経緯があったそう。 ここで書かれている「やがたいさぎ」という魚の方言が「じんなら」 いまでは「コトヒキ」と呼ばれてる魚と判明しました。 じんならと伝える魚棲みけり けむり立つ湯のなかに 己れ冷たき身を泳がし あさ日さす水面に出でて遊びけり 人ありて問はばじんならは悲しと告げむ 己れ冷たく温泉はあつく されど泳がねばならず けぶり立つ温泉のなかに棲みけり 高校の授業で出会った「室生犀星」そして「じんなら魚」 たいして深く意味も分からず、ただただ温泉に棲む魚の話として強烈に記憶されていました。 それから30年近くも経って、この河内温泉の、底知れない浮世離れした湯煙のなかで 何度も思い起こしたことは「じんなら魚」ってなんだっけ? ・・・せつなかったことだけは思い出せたのですが・・・。 この時、私の中で「じんなら魚」は誰も近づけない山奥の川の淵に住み着いている主のような魚を 想像しておりましたが、家に戻り、気になって調べてみれば海に住む「コトヒキ」とのこと。 海好き、釣り好きなら誰でも知っている身近な魚です。 少年時代、私も釣ったり、網ですくったりしたものでした。 図書館に行かなくても、先生に質問して困らせなくても、なんでも大抵のことはネットで 調べることが出来るようになって大変便利です。 しかし、私にとっての「じんなら魚」は意味不明の方が想像豊かで楽しかった気がします(笑 長くなってしまいましたので続きは次回にしませう。
by kouboufu
| 2009-05-30 01:29
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